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2007年04月24日

教育欲が教育力を鍛える

教育欲、という。

「教育力」という本の中に出てくる言葉。

何かを教えたい、その結果誰かが何かをできるようになることを喜びたい、そういう「欲」をたくさんもっている方が、教育者に向いていると言う。

教育学を専門とする著者が、「教育学」について思いの丈をぶつけた本だ。

教育者に求められる資質について、理想を高らかに掲げている。

ボーイスカウト運動はボランティアによって社会教育の一環を担っているが、これを支えている多くの指導者は、きっと「教育欲」にあふれた人に違いない。なんだかずいぶん手前ミソだけど、客観的に見て、そう思う。

何でこの人こんなにやってるんだろう?って思うこと、ありませんか。


教育力
齋藤 孝 (著)
¥ 735 (税込)
新書: 214ページ
出版社: 岩波書店 (2007/01)
ISBN-10: 400431058X
ISBN-13: 978-4004310587



 読み進むうちに、ここはスカウティングにおいてこういう具体例があります、といった注釈を、次々に加えたくなる。


<引用1始まり>

6.文化遺産を継承する力

 世界中の今までの歴史上、積み上げられてきた文化、およびこの国で日々積み重ねられてきた生活文化といったもの、すべてを文化として私たちは継承していきたいのだ。そのための組織・システムとして学校が考えられている。

 しかしいま、学校の先生の中で、自分は文化遺産の継承者であると自己認識している人が、どれだけいるだろうか。「あなたの仕事は何ですか」と問われて、「文化遺産の継承・伝達です」とはっきり自覚的に答えられる人は、現実には少ないだろう。

 学校という場所の主たる役割は、広い意味での文化遺産の継承の場だと私は思う。学校の中心は文化である。内容的に見ると、扱っているものはほとんど文化なのだ。ところが、当の教師に文化遺産を継承する意識がなければ、その授業の意図が見失われてしまう。

<引用1おわり>


 昨年まで所属していた団は、新興住宅地に数年前発足したばかりだが、継承しているのは制服と(持ち物としての)ジャンボリーテントくらいだった。「継承」という観点で言えば、たとえば地区や県連から派遣された人材が新規市場の開拓、さらには支援にあたるのが理想なのかもしれない。悪しき伝統などこれっぽっちもいらないが、なんでも一から試行錯誤では負担が重過ぎるし、なんだかもったいない。

 

<引用2始まり>

8.アイデンティティを育てる教育

 そもそも、人間は弱いものだ。その弱い人間が人との出会いを通じてアイデンティティを持つことで強くなりうる。そのアイデンティティは一つではなくて、いくつもあるほうが強い。人間はより合わせたいとの束みたいなもの。一本だとすぐ切れてしまうだろう。そこで、ファイバーみたいなものをいくつもいくつも縒り合わせて、一本が切れてもあと九十何本が残っている状態を作ることが大切なのだ。だからこそ、いろいろな出会いの可能性を生徒に用意する必要がある。

 そう考えると教師に問われるのは、はたしてほかの人にアイデンティティを与えることができる存在であるのかどうか、ということだ。胸を張って「自分は○○である」と言えるものがアイデンティティだとする。そうすると、かなり要求水準が高い。しかし、これが一番大切なことで、そのほかのことは教師にとって二義的になってくるのだ。

 生徒がこのアイデンティティを持つとすれば、その学校やそのクラブを出た先輩たちのいろいろな有形・無形の力によって、自分もそうなれるのだという自信を与えられるところにあるだろう。いわゆる伝統校かどうかなどは関係がないのは、いうまでもあるまい。生徒たちが自分の所属している集団に誇りを持つことができているのかどうかが、教育という勝負の趨勢を決める。

<引用2おわり>



時に「勝負」してる感覚を味わうと、一気にこの運動の魅力に引き込まれるものだ。ただし、相手がスカウトの場合に限る。






閑話休題、「コピペ思考」という言葉をみつけた。

日経on the web
> 連載「ネットと文明」
> コピペ思考で細くなる腕(取材現場から)【要登録】
https://netplus.nikkei.co.jp/nikkei/bunmei/bun070420.html


GoogleやWikipediaによって紐付けられた言葉を並べて(コピー&ペースト)体裁だけ整えても、自分の中には何も残らない、ということだ。

でもスカウティングにおいて、活動を展開するに当たっては、プログラムなんかは別に「コピペ」で構わない、と思う。最初は、特に。

ほぼゼロベースから考えるより、過去の蓄積を生かすべき。まず良いプログラムをやってみて、運営力を鍛える。そのうえで、発展させていけばよいのではないか。

ウッドバッチ研修所で、隊長として隊を運営していく基本を学ぶが、問題は隊に戻っても手本がない。指導者の指導ができない。学んできたことを実践することは、実はとても難しい環境にある場合が多いのではないか。「副読本」としてのプログラム集の整備とあわせて、指導者訓練や円卓や団会議にも「補習塾」としての役割が一層求められる。


齋藤孝さんはこの著書の中で、教育者の重要な資質として「向上心」を上げている。「教育者(広い意味で、リーダー)」が、いつまでも向上心を持ち続けること、その上で、こうした人材を育てていく環境作りも重要と考えている。それらのモチベーションの源泉をして、「教育欲」ということなのか。

現実問題として、時間とともに、あるいは慣れによって向上心が減退してくると、いつのまにか教育欲が、権威欲だか名誉欲にすり替わってしまい、肝心の教育欲が萎えてしまうのかもしれない。そしてそれは厄介なことに、本人だけでなく周りの人達の向上心を打ち砕くという悪循環をも生むのだ。

でも本当の意味で(教育欲に)欲深い人が、そういう状況にも打ち勝っていくのだろうと思った。
posted by ぬまた at 02:00| ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
私が教えたスカウト達が指導者になりつつあります。VSの指導者って一番直近の指導者なのでインパクトが強いのでしょうか、彼らは企画立案から、しゃべり方から行事中の立ち居振る舞いに至るまで、まさに私の「コピー」を演じてくれます。彼らの姿を見て、「あっ私ってスカウトから見るとこういうふうに見えているんだ」と気づくことが多々あります。
「あの時、○○隊長はこうした、こう言った・・・」という事例の一つ一つがスカウトの脳裏にインプットされデータベースとなっていきます。

楽器をやってる人は良く指摘されることだと思いますが、『楽譜通りに弾いてみなさい』とよく言われます。「名曲」といわれる曲は、いろいろな演奏がありますが、それぞれ演奏者の「解釈」が入っています。そのイメージで弾くと、オリジナルの楽譜とだいぶ違っています。
作曲者のオリジナルの楽譜通りにまず弾いてみることによって、新たに気づくことも多いのです。自分の解釈はそれからです。

ぬまたさんご指摘のように、私も最初はコピーでよいと思います。目標とする隊長さんの方法論とか、教科書に書いてあることでもまずバカ正直にやってみる。自分でやってみて、見ていただけや、読んだだけでは気がつかなかったことをたくさん発見するでしょう。

ただ、教わったこと、書いてあったことを検証もせず、無批判に実施している例も多いと思います。これではせっかくコピーしても実施することから学んだことにはならないですね。
Posted by KM at 2007年04月26日 18:30
> 楽譜通り

そういう意味では、ボーイスカウトの指導者にとって、まずは隊長ハンドブックに忠実に行う事が重要なことだと思いました。

ハンドブックは、それなりにノウハウの集大成になっていると思います。

想像や思い込みで違う方向に行ってしまわない為にも、指導者や団委員が集まった時にハンドブックの読み込みをするのも必要だと思っています。

検証や批判は、そこからですね。
Posted by ぬまた at 2007年05月02日 23:14
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